奥村チヨさんと言うと1965年「恋の奴隷」がヒットしましたが、ずっと管理人は、奥村チヨさんは、いわゆる「セクシー路線の歌手」なのかと思っていました。
ところが、だいぶ経ってから、ちょい上の先輩の話を聞くと、アイドル歌手だったと聞いて、驚いたものです。
そんな奥村チヨさんが、2018年を持って引退をするそうです。
別に、わざわざ引退をしなくてもいいのではと思いますが、ともかく「徹子の部屋」(2018年10月24日放送)に出演とあるので、奥村チヨさんの夫浜圭介さんについて、まとめました。
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浜圭介のプロフィール
生名:金野 孝
生年月日:1946年4月6日(72歳)
出身地:旧満州(中国東北部)の収容所で生まれ、青森県大鰐町、次いで北海道札幌市に移り住み幼少期を過ごす。
旧芸名:牧 宏次、大木 賢、浜 真二
1962年、歌手を目指し上京すると、同郷の歌手の森山加代子のつき人になります。
1964年、牧宏次の芸名で「波止場のロック」で歌手デビューしますが、売れずに弘前市に戻り、屋台を引きます。
1966年、大木賢(おおき けん)の芸名で「これが愛さ」で歌手として再デビュー。
1968年、浜圭介のペンネームで作曲を始めます。
1970年、作曲家の傍ら、浜真二の芸名で「おんな道」を歌い再々デビューをします。
1971年、奥村チヨに作曲提供した「終着駅」が大ヒット。
1973年、第15回日本レコード大賞作曲賞受賞。
1974年、奥村チヨと結婚。
1980年、八代亜紀に提供した「雨の慕情」が第22回日本レコード大賞で大賞を受賞。
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浜圭介の現在は病気?
「浜圭介」と検索をすると「浜圭介 病気」と出てくるのですが、おそらくこれは2018年時点で、ガセネタだと思います。
少し、名前やテレビで見なくなると「病気」扱いしたくなるのでしょう。
奥村チヨさんと、デュエットしている動画もありますし、それを見ると、お元気そうです。
浜圭介奥さん奥村チヨと結婚の馴れ初めは?若い頃
奥村チヨさんとは1974年に結婚しますが、馴れ初めは、奥村チヨさんに提供した「終着駅」が大ヒットして、そのお礼にと、奥村チヨさんのお母さんが手料理をもてなしてくれることになり招待されたそうです。
それまで、浜圭介さんは、結婚を考えたことがなかったのですが、たまたまその時、ソファーに座っていたら、奥村チヨさんが冷たいおしぼりを額にのせたのだそうです。
そんなことをされたことがなくて、それがきっかけで、意識するようになり、つき合いだしたのだそうです。
浜圭介のブルース「酔いどれ」 https://t.co/Zp6ZanSwiZ 7吋(77年)久しぶりに入荷した・・・!2コーラス目からの展開も熱すぎて、打ち震えている今この時。 pic.twitter.com/MZ489Aow3B
— ナカレコ2号店 (@nakareco2) 2016年10月27日
ステキです。
これも、いいニャ??https://t.co/ww3AUiBOLT
— 幸せもふにゃん (@JNp9sDWoAJMrB2w) 2018年10月20日
これも懐かしいです。
ウルトラマンA放送開始45年
1972年~ #1973年 アーカイブス街の灯り#堺正章
作詞 阿久 悠
作曲 浜 圭介【1973年 6月25日 発売】https://t.co/S7ND46qsip
— セブン大好き!アンヌ大好き! (@sevenchannel67) 2017年10月27日
まとめ
八代亜紀さんの「雨の慕情」は、ほんと大ヒットしました。
昭和なムード歌謡というか、しんみりとした曲がなんとも言えませんが、もうこういう曲は、聞かれなくなってしまうのでしょうか。
管理人が知らないだけかな?
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