俳優の渡哲也さんというと、昔からとても落ち着いた印象で、バカなことはけしてやらないイメージなのですが、1991年に直腸がんが見つかり、その後、人工肛門をつけることになってしまったそうです。
その後も肺気腫やぜんそくといった呼吸器系の持病に苦しめられてきたのだとか。
さらに、2015年6月には急性心筋梗塞で倒れてもいます。
よくご無事でと思うのですが、そんな渡哲也さんには、一人息子がいます。
どんな人なのか、まとめてみました。
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渡哲也のプロフィール
本名:渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)
生年月日:1941年12月28日(76歳)
出生地:島根県能義郡安来町(現・安来市)
出身地:兵庫県淡路島
身長:180cm
血液型:B型
父親は日立に勤務していて、広島県呉市の軍需工場などを転々とし、日立の安来工場に勤務していた時に、渡の母と結婚します。
終戦で父親は日立を退職し、実家がある兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)に戻って、洋品店を開業することになります。
そのため渡さんは、小学校一年生の途中から淡路島で育ちます。
出身を淡路島にしているのは、日活に入ったとき石原が神戸市生まれなので、淡路島の方がイメージ的にいい、という判断で決めたのだそうです。
出身学校;淡路町立石屋小学校、三田学園中学校・高等学校(6年間の寮生活)、青山学院大学経済学部。
大学在学中は空手道部 (流派は日本空手協会・松濤館流)に在籍し、青山学院大学・空手道部OB会長・渡瀬道彦の札もかかっていたそうです。空手弐段。柔道初段。
最初は、大学へ通うため上京し、弟の渡瀬恒彦と共に新宿区柏木(現・北新宿)で下宿していました。
在学中に日活が浅丘ルリ子主演100本記念映画の相手役となる新人「ミスターX」を募集していて、弟の渡瀬さんが所属していた空手部の仲間が内緒で応募したそうです。
本人は激怒するが、就職を希望した日本航空の整備士社員の採用試験で不合格になり、「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかも知れない」と友人から言われ、日活撮影所を訪問した。その時にスカウトを受けて1964年(昭和39年)に日活へ入社します。
今はそれほど珍しくありませんが、当時180cmの身長とは、かなり目立ったと思います。
それに、顔が小さそう。
余裕でモデルができたと思います。
しかも青山学院大学出身とあってか、日活では高橋英樹に続くスター候補として、デビュー前の記者会見では破格の扱いを受けたそうです。
確かに、これを見るとカッコいいですね。
高橋英樹が、ノブコブ吉村さんに見えるw
そして、高橋英樹さんが、2代目赤木圭一郎さんのオーディションで、日活に入社して、赤木さんの遺作になった!(激流に生きる男)の赤木さんの代役で、デビューして、2年後の1964年に、渡哲也さんが、日活に入社して、1965年に、日活デビューして、2代目石原裕次郎と呼ばれました。 pic.twitter.com/hzivHbdM0s
— ウッシー (@okimasaya0612) 2018年7月25日
1965年デビュー当時の渡哲也23歳。日活三人娘の和泉雅子を相手に青学空手部キャプテンの片鱗を見せる。 pic.twitter.com/9z3kPAxu5T
— tabigarasu (旅がらす) (@isz3143) 2018年1月1日
1965年(昭和40年)3月「あばれ騎士道」で宍戸錠とのW主演でデビューします。
ひゃーカッコイイです!
“: 渡哲也さんと吉永小百合さん
日活時代 pic.twitter.com/yZOqFYd3Yy“— ゆきちゃん (@marinamiries) 2013年6月6日
1971年(昭和46年)、石原裕次郎への尊敬などから、借金で倒産寸前の石原プロモーションへ入社します。
1973年8月にリリースした「くちなしの花」が年明けからヒットし、1974年の年間シングルチャートで7位を記録。累計150万枚を売り上げ、全日本有線放送大賞金賞も獲得し渡の代表曲となります。
「くちなしの花」この歌、ボソッとした歌声なんですが、かえってそのボソッとした声が印象的だったのか、覚えています。
ちなみに1972年にアグネスチャンが「ひなげしの花」でヒットを出しているんですよね^^;
第25回NHK紅白歌合戦に初出場した。
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渡哲也の息子の顔画像や名前は?
1971年3月、青山学院大学時代の同級生、石川俊子さんとハワイで二人だけの結婚をします。
引用元:http://looksroom.blog.jp/archives/2027-01.html
ご両親が青山学院出身ということで、渡さんの息子さんも、小学校から青山学院です。
アメフトなのかラグビーをしていて、渡さんよりも体格が良いのだとか。
大手ゼネコンに就職したそうですが、ウワサでは鹿島建設とあり、調べてみると、鹿島建設には、アメリカンフットボール部「鹿島ディアーズ」というチームがあります。
ここに、渡瀬暁史さんというお名前があるのですが、渡哲也さんの弟、渡瀬恒彦さんの息子さんの名前が、渡瀬暁彦さんと言ってTBS勤務なんだそうです。
青山学院に「青山コアラーズ・ブレンチ」というラグビーのチームがあり、そこにこの渡瀬暁史さんのお名前があります。
初等部を昭和60年卒業とあるので、昭和46年に結婚した渡さんに、昭和47年生まれの息子さんがいても不思議ではありません。
もしかして、この渡瀬暁史さんが、息子さんなのかな?
こちらの人事を見ると「営業部副部長」とありますが、年齢的に46歳で、それくらいなのかな?
違っていたら訂正します。
渡さんの息子さんの写真は出てこなかったのですが、こちらは渡瀬恒彦さんの息子さん。
攻機さんに教えてもらった渡瀬暁彦きゅんがかわいい。好き。 pic.twitter.com/InB0vmEnKP
— ワニガワ (@wanigaaaaawa) 2017年5月15日
話題のドラマの演出などもしているみたいです。
日曜劇場『ブラックペアン』|TBSテレビ https://t.co/oGTS7TJ62J
脚本:丑尾健太郎
プロデューサー:
伊與田英徳
川嶋龍太郎
峠田 浩
演出:
福澤克雄
田中健太
渡瀬暁彦— ニノのコト。 (@nino_no_koto) 2018年2月1日
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渡哲也の息子の結婚独身?
渡さんの自宅は、東京都大田区久が原にあり、息子さんが住んでいるのは、実家から歩いて2分ほどの一戸建てだそうです。
これほど恵まれているのに、独身なんだとか。
もしかして?なんてゲスの勘繰りをしてしまいました。
お父さんは、天下の石原プロの社長だった人です。
その息子さんが、まさかだったらとしたら・・・自分に、正直な人なのかもしれません。
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