千昌夫さんというと、なんと言っても眉間にあった”ほくろ”がトレードマークだったのに、いつの間にかとってしまいました。
眉間のほくろは、最高の運勢と言われていて、そのために不動産王とまで言われていたのかと、勝手に管理人は思っていたのですけれど、どうしてしまったのか気になることが色々あります。
千昌夫さんの現在の奥さんや、ジョーン・シェパードさんについてまとめました。
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千昌夫の嫁(アマンダ・アベ)と現在は?
1992年、18歳年下のダンサーのアマンダ・スタナードと再婚し、2男2女の4人の子供をもうけます。
このアマンダさん、アメリカ人説とイギリス人説があるのですが、どちらが本当なのかわかりませんでした。
1996年にハワイへ移住していますが、子供が白血病を患ったためと言われています。
引用元:http://takeiteasyinamerica.com/
千昌夫の嫁シェパードの年齢や離婚理由?
[New Arrival-20170602] グっときます(り)
ジョーン・シェパード (Joan Shepherd) – I love bening a ~ (Used 7″)https://t.co/FOjvC18hE2 pic.twitter.com/7NuQR92IGk— dessinee shop (@d_dessinee) 2017年6月2日
ジョーンシェパードさんは、千昌夫さんより3つ年上の1944年9月5日、アメリカ生まれです。
千昌夫さんの不倫問題で、ジョーン・シェパードさんと1988年に離婚します。
ジョーン・シェパードさんというと、桂三枝さんと一緒に「新婚さんいらっしゃい」の司会をしていた時、よく見ていました。
今思えば、とってもお金持ちなのに、鼻持ちならないとか、そんな雰囲気とはまったく無縁な感じで、かわいらしい話し方で好きでした。
そんなシェパードさんが、千昌夫さんと離婚したと知った時は、とっても悲しかったです。
もともとは
1960年代に、グレンミラーオーケストラの専属歌手をしていたそうです。
1971年に発売された「サマー・クリエーション」がヒットして、マックスファクターのCMにも起用されます。
1972年に、千昌夫さんと結婚します。
不動産王と言われるようになったのは、シェパードさんと言う最高のパートナーがいたからこそだと思うのですが、バブル絶頂期に離婚をします。
慰謝料は、約50億円と言われ、これは芸能史上最高額のようです。
こういう太っ腹な?(後々借金が3000億円になっていますが)ことから、18歳も若い奥さんをもらうことになったのでしょうか?
それはともかく、慰謝料として千昌夫さんから分与された東京広尾の家屋は、名義の問題から、借金の抵当に入ってしまい立ち退くことになってしまいます。
週刊誌でも話題になりました。
結局、ジョーン・シェパードさんは住処を退き、日本を離れて、現在はハワイにいるそうです。
エクボがチャームポイントでとてもかわいらしく、シェパードさんの印象がとても良かったので、正直、千昌夫さんと離婚をして、その後の、悲しい展開を残念に思います。
千昌夫の娘や子供
長女、ナターシャ(1989年ごろ生まれ)、2017年に28歳でアメリカ人と結婚
次女、ダニエラ(1991年ごろ生まれ)、2009年9月に芸能界にデビューしています。

長男、アレキサンダー(1992年ごろ生まれ)
次男、ローレンス健樹(1993年生まれ)、現在はわかりませんが、生後間もなく白血病を患ったそうです。
千昌夫のほくろ
千昌夫さんの眉間のほくろは、2000年に開運のためと整形手術でとってしまったそうですが、細木数子さんから、取らない方が良かったと言われたそうです。
基本、千昌夫さんはかなり運がいいのだろうなと思います。
ジョーンシェパードさんと離婚をして、それまでずっと続いていた紅白出場が途切れてしまいましたけれど、18歳も年下の奥さんをもらって、40歳過ぎてからお子さんが3人できたんですよね。
しかも、バブル崩壊で3000億円の借金が出来たとは言え、問題のあった旧長銀から借りていたことで、国有化による公的資金投入で借金が1,000億円程度に棒引きされたって、かなりラッキーですよね。
ほくろを除去して、確かにその後、個人向け民事再生法を適用して2002年、「6年間で約1億5,000万円を返済すればよい」という形で一応の決着したというから、正解だったのかな?
千昌夫の経歴とプロフィール
本名:阿部 健太郎
生年月日:1947年4月8日(71歳)
出身地:岩手県陸前高田市
出身学校:水沢第一高等学校中退
農家・左官屋さんの次男として生まれました。
父親を小学校4年の時に亡くします。
1965年、作曲家の遠藤実に入門し、9月5日、「君が好き」でデビューを果たします。
1967年秋頃、「星影のワルツ」大ヒット、ミリオンセラーとなり、1968年「NHK紅白歌合戦」に初出場をします。
1970年、23歳で仙台市郊外にある五万坪の山林を四千万円で購入。
その後、東北新幹線の着工決定も手伝い、購入した土地を含めた周辺が市街化区域に編入されたことで地価は十倍にも上がり、このことにより、1972年には「アベインターナショナル」を設立。
同じ年、25歳でアメリカ人歌手ジョーン・シェパードと結婚
1979年、1977年4月5日発売の「北国の春」が大ヒット、第21回日本レコード大賞ロングセラー賞受賞。その他に「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲を飛ばします。
次第に不動産業に傾倒するようになり、やがてバブル期には歌手を休業し不動産業に専念します。
都心には、数億円~十数億円のビルが20棟前後、シドニーのリッツカールトンホテルを始め、ロンドン、香港などにもホテルを所有をして、「歌う不動産王」「ホテル王」と呼ばれるほどになります。
それ以外にも、ハワイ、サンフランシスコ、スペインに別荘があったそうです。
一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物ではとウワサされるほどでした。
赤坂に、大衆居酒屋「せんや」を経営していたこともあったようです。
1988年、41歳、ジョーンシェパードさんと離婚。
「北国の春」のヒット以来1986年まで連続出場してきたNHK紅白歌合戦にも1989年を最後に落選(その後2011年にカムバック)
1991年のバブル崩壊とともに借金が膨れ上がります。
1991年3月「おやじ先生」をリリースし、歌手活動を再開し、デュエット曲を発表するなど積極的な姿勢を見せます。
2000年2月4日に個人事務所「アベインターナショナル」は経営破綻します(東京地裁に特別清算を申請、負債総額は1,034億円)
近年は大きなヒットもありませんが、「星影のワルツ」や「北国の春」「望郷酒場」などは、ずっと親しまれて歌われています。
まとめ
千昌夫さんの30代のころを見ると、「これならモテそう」と思いました。
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