細野晴臣さんというと、管理人には「はっぴいえんど」は、ほぼ伝説化しているのですが、YMOの「胸キュン」くらいの1983年の散解コンサートギリギリの頃、よく聞くようになって、一時期、ほんとハマりました。
今でも細野さんの80年代の乾いた軽さの曲を聞くと、なんとなく心地よいのです。
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細野晴臣の経歴とプロフィール
1947年(昭和22年)生まれ
出身地:東京都港区白金三光町(現・港区白金台)生まれ
特に裕福ではないが、厳しい環境でもなく自由な少年時代を過ごします。
父方の祖父は鉄道官僚で、タイタニック号の唯一の日本人乗客だった細野正文です。
母方の祖父である中谷孝男はピアノの調律師で、叔母が外資系の映画会社に勤務していたことから、幼い頃からポピュラー音楽に親しみます。
中学のころよりロックに興味を持ち、15歳ごろからギターを始め友人とバンドを組みます。
立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学の同級生だった西岸良平の才能に感心して、漫画家を志していたのですが諦めて、音楽の道を進むことにします。
— ぼぎー hideo ogimura (@griffin59hideo) 2018年12月31日
高校のころ、ボブ・ディランに大きな影響を受け、ボーカルにも挑戦し始めます。
"More Blood, More Tracks" is out today!
"Listeners through the decades have been riveted by the album’s pain and longing; it’s one of Dylan’s masterpieces."–@jonpareles, @nytimes pic.twitter.com/dQKNfoRQvi— bobdylan.com (@bobdylan) 2018年11月2日
立教大学在学中にベースを始め、数多くのバンドを経験し1969年、エイプリル・フールのベーシストとしてメジャーデビューをします。
僕が今まで見た中で一番高かったレコードはこれ。細野晴臣、松本隆、小坂忠ら率いるエイプリルフール唯一のアルバム。
値段は確か48万円笑
1969年当時250枚くらいしか売れなかったらしい。
CDで持ってますが、内容はかなり尖っててサイケデリック。 pic.twitter.com/h2SbAmyP7l— Theひょっとこい (@thehyottokoi) 2018年1月22日
その後、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成
野上眞宏 写真集
『BLUE: Tokyo 1968-1972』
「はっぴいえんど」(細野晴臣、松本隆、大瀧詠一、鈴木茂)結成前~解散までの時期に撮影された貴重なドキュメントを約190点収録。
当時を知る者には懐かしさを喚起し、この時代を知らない者にはタイムトリップを誘う魅力的な細部を見せてくれる。 pic.twitter.com/RJ1gjsgr87— ”見る” を愉しむ〈心斎橋アセンス〉 (@mirutanoshimi) 2018年7月11日
1973年のはっぴいえんど解散後、ソロ活動と平行して鈴木茂、林立夫、松任谷正隆とキャラメル・ママ(のちにティン・パン・アレーと改名)を結成します。
細野さんがベースだとまさにキャラメルママですがあの紅白メンバーは「スカイ」ですね。
『1968年林立夫小原礼らとともにスカイを結成。1969年に細野晴臣に誘われはっぴいえんどに』https://t.co/c6z7mHhD0x
元ミカバンド元イアンマクレガンバンドの小原礼さんがいるのが二重に衝撃的でした???????? pic.twitter.com/OsplgrbYGm— arakin again (@studiomechanic) 2018年12月31日
1978年、思いつきでシンセサイザーとコンピューターを駆使したYMOというテクノミュージックのバンドを考え、元サディスティック・ミカ・バンドの高橋幸宏、当時スタジオ・ミュージシャンでもあった坂本龍一とY.M.O.を結成。
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細野晴臣の結婚や娘は?妻は誰?
細野さんは、1971年、24歳の時に結婚をしています。
ところが、細野さんは家にいるタイプではなくて、音楽に集中したいからと27歳のころ家を離れて、良く別れなかったなと思いますが一人で生活をしているそうです。
言葉を替えると、ストイックで束縛されたくない人なんだと思います。
悪く言うと、家庭的じゃない。
それが証拠にではありませんが、30回以上も引越しをしているそうです。
1975年に発売された「トロピカル・ダンディー」に、娘さんの名前をつけた「アヤのバラード」という曲があります。
#YMO
細野晴臣さんと一人娘の彩ちゃん! pic.twitter.com/8xLFw4Hnc5— ??GREGORIAN (@h_gregorian) 2018年1月22日
細野さんのお孫さんについて、こんな投稿が
細野晴臣の孫と昨日遊んだよ
— Tamaki Inoue (@t_perc_g) 2018年5月13日
細野晴臣病気で激痩せ画像?
いつのころからか、細野さんがやせられてしまい、ダイエットによるものではなく、病からやせられてしまったのかなと思ったのですが、特に細野さんが病気だという報道はありません。
病気どころか、こんな投稿も
interFM"Daisy Holiday!"で細野晴臣さんが、「『ソルフェジオ周波数』というのが病気が治る音階だとか評判になってるらしい。古代はA=440Hzだったが、20世紀後半は441Hzになり、最近は442Hzになり、今では443Hz位が常識になっているそうだ」とのこと。
— マティリアル (@pxn13431) 2014年10月6日
若いころの方が、よほどやせていたので、激やせとは違うのかな。
ちなみにYMO結成のころ、過換気症候群という、呼吸が苦しくなる症状が出て、病院で受診せず治したいと思い出会ったのがヨガと、仏教の修行でした。友人に誘われて行った京都のお寺で呼吸法などを習い、症状が緩和していったそうです。
自然療法を使って、病気を治す志向なんですね。
NHKドテラYMO
そんな中、NHKで18年ぶりに「細野晴臣イエローマジックショー2」が、見られるので楽しみなんですけれど、
昔見た、「トリオ・ザ・テクノ」を思いだしたのですが、教授をはじめとして細野さんの細かい芸が見られます。
今またお笑いブームなので、どこかで「トリオ・ザ・テクノ」再結成してくれないかなと期待しています。
「ひょうきん映画 YMOプロ提携作品 三匹の用心棒」これがまた傑作なんですが、3人の中で細野さんが一番冷静な役どころがまたおかしい。
そんな一面を持った細野さんですが、「さまぁ~ず」のファンで「モヤさま」も好きなんだそうです。
たまたま細野さんが、プライベートで訪れた恵比寿の食堂で、「モヤさま」のロケと遭遇というのも、これまた笑えます。
2018年12月16日放送の「モヤさま」で、その様子が放送されました。
細野晴臣さん登場シーン①
細野さん、モヤさまファンなの
知らなかったです。
偶然で貴重なシーンですね??#モヤさま #細野晴臣 #さまぁ?ず pic.twitter.com/Lc1CKkq4uP— おっさんどーる (@ossandoll_plus) 2018年12月16日
2019年1月1日の「イエローマジックショー2」でも「モヤさま」への愛を語ってくれます。
YMO初期のMV3本が、同時公開されましたけれど、音楽はともかく映像が、今見るととってもアナログなんですが、おそらく当時としては先端だったのでしょう。
細野晴臣さん、2019年で音楽活動50周年!重い・・・
【#細野晴臣】今年音楽活動50周年!大きく特設コーナー設置??
はっぴいえんど、YMO。数え切れぬ程の功績を残してきた細野氏。紅白で聖子ちゃんが披露したメドレー、松本隆、大瀧詠一、細野さんが絡んでます。強い。シティポップの重要性、そして星野源やYogeeの人気で現代にまた舞い戻ってきました?? pic.twitter.com/q4XF4HRUmP— HMV立川 (@HMV_Tachikawa) 2019年1月2日
まとめ
細野さんって、音楽的な才能は素晴らしいけれど、それ以外は、よくも悪くも、いい意味でふつーだと思います。
これと言って派手ではないですし、いかにも芸能人面をしていない。
育ったところが、東京のど真ん中で、身の丈をわきまえているのかなと思います。
細野さんの、朴訥として淡々としたところが好きなのかもしれません。
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