おいしいおそばが食べたいな~なんて思っていたら、160年前のソバの実からそばが作れたという話が「突破ファイル」(2019年1月10日放送)で話題になっています。
気になったので、まとめました。
福島県大熊町へおじいさんの横川一郎さんと孫娘の美咲さん(孫娘の話は架空のようです)がたどり着いたのは、先祖代々伝わる旧家でした。
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天保そばの経緯
築200年以上になる豪農だった先祖が建てた日本家屋に、10年前まで祖父が1人で暮らしていたのですが、年になって街に引っ越して以来、空き家状態でした。
歴史的価値ある古民家でしたが、雪下ろしや草刈りの手間や、かやぶきのふき替えには1000万円以上の費用がかかることから、祖父の一郎さんは解体を決意したのです。
美咲さんは、解体前の荷物整理に来たのです。
200年以上の歴史ある古民家なので、珍しいものだらけです。
そんな中で、天井裏から見つけたのが古い俵でした。
俵を調べると、3重のミルフィーユ構造になっていて、その中には、そばの実が保管されていたのです。
一郎さんの話によると、ある言い伝えがあったと言います。
およそ180年前、1830年代におきた天保の大飢饉で、長雨により大凶作がおこり、餓死者が続出した歴史的大事件がありましたが、特に東北地方は、数年にわたり大きな被害を被ります。
一郎さんの先祖は、同じような災いが起こったときの用心に、そばの実を集めて蓄えておいたというのです。
そばは、寒さや乾燥に強く、まいてから最短で2か月で収穫できるのです。
そばの実は、食糧難の人々を救ってきたのです。
昔から、そばをまく時は、水はいらないと言ったものです。
美咲さんは、このおそばどうすかと尋ねると、一郎さんは、今のこの町には必要がないと返事します。
ところが翌日、美咲さんは、芽が出ないかまいてみました。
一郎さんは、そんなの無理に決まっているだろうと言いますが、美咲さんはあきらめませんでした。
「ご先祖様が食べていた同じおそば、食べてみたい。今こそ、このそばの実は必要だと思う。もしこのおそばが何かの間違いで、江戸時代のおそばが食べられるようになったら、大ニュースじゃない?みんなが離れていったこの町にも、元気が出ると思うの。なんとしてでも復活してみせる!」
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天保そばとは?
そばの実は、早くて1日半で出ると言いますが、芽は出ません。
今度は、福島県生麺協同組合青年部を頼ることにします。
組合の福田さん(仮名)によると、いただいた種子はすべて、発芽活性が失われているということでした。
つまり、成長能力がないのです。
そもそも、そばの実は5年で成長能力を失います。
160年以上前のものになると、種が芽を出す確率はゼロに近い。
その後も、さまざまな専門機関や研究所に発芽テストを依頼します。
結果は、すべて同じでした。
調べまくっていたある日、「江戸時代の文献をもとに”幻のそば”を復元する試みが話題になっている」(雑誌「そばうどん第27号」記事を発見します。
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それは「山形県そば業界の神様」と呼ばれている人がかかわっていました。
山形県鈴木製粉所の鈴木彦市さんでも、約160年前のそばの実を見るのは初めてです。
乾燥や痛みがひどいので、普通のやり方では発芽しないと言います。
「だが、非常識なやり方なら可能性はある」と言います。
「天保のそばを復活させるのは、実に意義ある挑戦だ」
鈴木さんの知り合いであった、生麺協同組合のメンバーも福島から参戦することになりました。
鈴木さんは、このそばの実が過ごした環境を徹底的に調べると言います。
ちなみに、この俵の3重構造は、ねずみや害虫から、そばの実を守り湿気も防げます。
まさに先祖の知恵が詰まった、タイムカプセル(真空状態とまではいかないかもしれませんけれど、少なくとも害虫と湿気からは守られていたようですね)
160年前のそばの実を発芽させるには、当時の育て方を再現するしかないと考えます。
江戸時代、森に火をつけて焼き、その灰を肥料に作物を育てる焼き畑農法が主流でした。
それを再現するために、炭を土に混ぜます。
しかし、数日経っても芽が出ません。
美咲さんは、一郎さんが話をしていた「そばをまくときは、水はいらない」と伝えると、鈴木さんは、山形にも、そういう言い伝えがあると話します。
固く絞れば水分量も調整できる水苔を使うことにします。
通常、そばを育てるときは、毎日しっかり水をまきます。
あえて、江戸時代の言い伝えを守るために、水はやらず、代わりに細かく切り刻んだ水苔を土の上に敷く作戦となりました。
36時間後、すると幼根の出たそばの実が!
多くの研究機関が不可能とした、160年前のそばの実から芽と根が出たのです。
そばの実は、順調に成長して3か月後、ついに収穫の時が!
ところが収穫できたのは、約900粒で、これでは1人前にもなりません。
そば1人前を作るには、4000粒以上が必要です。
その900粒のそばをまいて増やしてみましょうと提案しますが、鈴木さんは、他のそばの花粉が飛んできて、交配したら江戸時代のそばではなくなってしまう。
つまり「種の保存ができない」
そば同士は、交配しやすく他の花粉をつけたミツバチが飛んでくると遺伝子がまざり別物に。
そこでビニールハウスや高山での栽培を考えますが、ビニールハウスでは、温度調節や敷地がダメ。
高山では、チョウが飛んでくるので状況が合いません。
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そばの神様の経歴
鈴木製粉所社長 鈴木 彦市さん
昭和13年に山形市で生まれ
山形商業高校を卒業後、家業の鈴木製粉所で働き始めます。
1991年に3代目社長を継ぎます。
2006年12月11日、お亡くなりになられています。享年69。
飛島の場所
ミツバチが飛んでこないところがありました。
それは秋田県酒田市にある日本海に浮かぶ飛島です。
ミツバチの飛行距離は最大40kmです。
山形県から40km以上離れた場所で、そばが育てられた歴史のない島を調査すると、飛島です。
飛島でそばを栽培します。
4年後、ついに50kgのそばの実の収穫に成功します。
(2002年11月8日、毎日新聞)
天保そばの通販
もちのような歯ごたえと、濃厚な風味。
天保そばは、「天保そば保存会」会員の店舗で購入できます。
古民家のあった福島県大熊町の人にも振る舞われています。
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