ラサール石井さんと再婚した奥さんの石井桃圭さんと「徹子の部屋」(2019年2月17日放送)に出演されます。
石井桃圭さんの出身大学やインスタグラム、経営している薬局の場所や身長、馴れ初めや離婚についてまとめました。
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ラサール石井嫁石井桃圭(薬剤師)ブログは?
石井桃圭さんのブログは見当たりませんでしたが、インスタグラムは非公開になっています。
ラサール石井の嫁石井桃圭の薬局の名前場所?
再婚した奥さんの桃圭さんは、2012年に、ラサール石井さんが55歳の時、24歳で結婚をします。
この時、現役の薬学部の学生でした。
ラサール石井さんは、離婚後寂しくてお見合いもしました。
たまたま友達のお店に行ったら何人か女性がいて、そのうちの1人でしたが、24歳と言っても成熟した女性で、特にロリコンだからといったような出会いではありませんでした。
薬局を経営しているとこのことで、調べてみました。
桃の葉薬局
2017年4月17日にオープン
東京都大田区大森西7-7-16 城南医療ビル1階
ラサール石井の嫁石井桃圭の身長は?
石井桃圭さんの身長が168cm
ラサール石井さんの身長は163cm
ラサール石井の嫁石井桃圭の出身大学は?
出身大学ですが、千葉科学大学動物薬学コースを中退して、帝京平成大学の薬学部に入り直したんだそうです。
ちなみに千葉科学大学薬学部の偏差値はBF、4年制ですが薬剤師免許は取れません。
帝京平成大学の偏差値は45.0で、6年制。
そこで、薬剤師の国家試験を受け合格。
最初に入った大学を中退するのですが、奨学金の返済が残った状態で、他の大学に入ることになったため、学費を返済するために銀座でホステスをしていたようです。
どうりで、着物姿が若い割には、キレイに着こなしていると思ったら、そういう事情があったんですね。
ラサール石井の嫁石井桃圭の馴れ初め!
再婚した奥さんの桃圭さんは、2012年に、ラサール石井さんが55歳の時、24歳で結婚をします。
この時、桃圭さんは、現役の薬学部の学生でした。
ラサール石井さんは、離婚後寂しくてお見合いもしました。
たまたま友達のお店に行ったら何人か女性がいて、そのうちの1人でしたが、24歳と言っても成熟した女性で、特にロリコンだからといったような出会いではありませんでした。
普段から、若い女性とも関わっているので、ラサール石井さんにとっては、特に若い子を狙ったわけではないようです。
ラサール石井の離婚原因?
ラサール石井さんは、大学生のとき劇団「テアトル・エコー」の養成所に入所しますが、そこで劇団員女性に一目ぼれし、1979年に結婚します。
その後、渡辺正行、小宮孝泰と「コント赤信号」を結成し、1980年代の漫才ブームでブレークしますが、前妻は下積み時代の石井を支え続けました。
ところが、ラサール石井さんが仕事で多忙となり、1995年ごろから都内で一人でマンションを借り別居します。
2011年1月、32年連れ添った前妻と、離婚が成立します。
前妻との間には、34歳と33歳の2人の娘さんがいます。
ラサール石井の経歴とプロフィール
ラサール 石井(ラサール いしい)
本名:石井 章雄(いしい あきお)
生年月日:1955年10月19日
出身地:大阪府大阪市住吉区帝塚山
実家は祖父の代から惣菜店を営み、1970年頃からはおじがうどん屋をはじめ、実兄が、のれん分けして「帝塚山めん処 いし井」を営んでいます。
所属事務所:石井光三オフィス
司会者、声優、演出家、タレント
お笑い番組好きな家の影響もあって子供の頃から三木のり平や大村崑の番組を良く見ていて、コメディアンに強く憧れます。
大村崑も三木のり平からロイド眼鏡の使用については許可を得てますよね。子供のころ、コンちゃんのキャラクターはソーセージ等によく使われていましたが、不思議と三木とは混同しなかった。 pic.twitter.com/6DKgWmJHTW
— ウレオ (@kch4satyric) 2017年11月15日
中学時代に自分よりも面白い生徒がいて、敵わないと感じ、青島幸男の存在から、放送作家を志望することになります。
1970年(昭和45年)。青島幸男の監督脚本映画「二人でひとり」より。左から中山千夏、三木のり平、コント55号、青島。 pic.twitter.com/0XzQqcJKpR
— 明治・大正・昭和の写真 (@polipofawysu) 2017年2月5日
1960年代から1970年代にかけ、関西の有名学習塾「入江塾」で受験勉強をし(遅刻防止のため下宿)
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鹿児島市の私立ラ・サール高等学校に入学しますが、東京大学受験には不合格となります。
上京して浪人したら遊びの誘惑に勝てないと判断し、早稲田大学第一文学部に進学。
同大学ミュージカル研究会にも所属し、大学1年の時に放送作家をしている先輩の目に留まったことがきっかけで、放送作家としてテレビ朝日の「チビラサンデー」のコント制作などに携わっていたことがありました。
早大在学中に劇団テアトル・エコー養成所に入所。
養成所で一期下の渡辺正行、小宮孝泰と共にコント赤信号を結成。
ネタじゃないけれど、当時のアイドルと登場!
『パリン子学園NO.1』最終回エンディング(1983)。松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ、ジャニーズ少年隊(当時の名称)、山田邦子、コント赤信号。 需要は殆どないでしょうけれど、私のYouTubeチャンネルにはオープニングの方を昔々上げてあります。一応。 pic.twitter.com/6F4bmsJGmc
— よかちょろ (@yokachoro) 2019年2月5日
これ見ると、ヒップアップとごっちゃになっているw
コント赤信号でんがなまんがな…
_(。⊿°」∠)_知らんかぁ…… pic.twitter.com/UVQFE0dRh5
— etrntyblue (@etrntyblood0518) 2019年2月4日
多忙で単位不足となり学業の両立を断念し早大から除籍となります(中退ではありません)。
2011年1月、15年前から別居していた妻と正式に離婚が成立。
2012年1月、24歳の一般女性(石井桃圭)と再婚。相手の女性は現役の薬学部の学生で、出会いから結婚に至るまでの交際期間が4か月というスピード婚でした。
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まとめ
ラサール石井さんが、再婚されて、6年も経つんですね。美人で若い奥さんもらって良かったと言っていいのか、ちょっと複雑です。
ラサール石井さんというと、昔はコント赤信号でお笑いをやっていましたけれど、渡辺のバカバカしさが良かったのですが、結構好きでした。
最近はすっかりコメンテーターやタレント活動がメインになった印象ですが、まだまだこれからといった感じですね!
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