なかにし礼さんと言えば、テレビによく出ている印象が強いですが、美空ひばりさんやザ・ピーナッツの「恋のフーガ」、奥村チヨさんの「恋の奴隷」、北島三郎さん「まつり」北原ミレイさんの「石狩挽歌」、ザ・タイガース「花の首飾り」、ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」、細川たかしさんの「北酒場」など、たくさんのヒット曲を出してきた日本を代表する作詞家の一人です。
個人的に印象に残っているのが、なかにし礼さんの実のお兄さんのことがつづられている小説「兄弟」を読んだのですが、常人には計り知れない思いをされてきたというのが良く分かり、かなり衝撃的な内容でした。
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後に、ビートたけしさんと豊川悦司さん出演でドラマにもなりました。
そんな、なかにしさんが「徹子の部屋」(2019年2月18日放送)に出演されるので、まとめました。
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なかにし礼の経歴とプロフィール
生年月日:1938年9月2日
本名:中西禮三(なかにし れいぞう)
小説家、作詞家
出身地:満州国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)
元は北海道小樽市に在住していた両親が、渡満して酒造業で成功を収めていました。
終戦後、満州からの引き揚げ。
8歳の時に小樽に戻りますが、兄の事業の失敗などで小学校は東京と青森で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着きます。
東京都立九段高等学校卒業後、一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学。
中退と再入学と転科を経て、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業します(立教仏文の第1期生)。
元タカラジェンヌで、シャンソン歌手の深緑夏代に依頼されたことがきっかけで、シャンソンの訳詞を手がけるようになります。
死の直前まで、シャンソン界の大御所として活躍された
宝塚出身のシャンソン歌手深緑夏代さん、本日は彼女の命日です。当館のステージにも立ち、魂を揺さぶる歌を聴かせてくれました。
(1921年9月24日 – 2009年8月31日 )https://t.co/42TlNTMC8k
「愛の讃歌」— 日本シャンソン館 (@musee_chanson) 2018年8月31日
1963年、新婚旅行中に、映画「太平洋ひとりぼっち」を撮影中の石原裕次郎と、静岡県下田市のホテルのバーで偶然出会い知遇を得ます。
石原裕次郎 氏誕生日おめでとうございます。日本の宝ですね。「#太陽にほえろ」世代ですが、「#太平洋ひとりぼっち」を載せます。海洋冒険家の堀江謙一が1962年に出版した手記。1963年には映画化された。有名ですが観てません
残念です。
太平洋ひとりぼっち https://t.co/9aJYAJKZYo pic.twitter.com/UB9HVuyBuO— nori (@NorioUejima) 2018年12月28日
石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込みます。
それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒット。
1969年には、作品の総売上が1000万枚を超えます。
一見すごいのですが、その裏の話を知ると、切ないやら悔しいやら言葉になりません。
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なかにし礼の妻や子供や元妻?
大学在学中、1963年に最初の妻と結婚します。
1968年に離婚
1971年10月16日、いしだあゆみさんの実妹で、元歌手の石田ゆりさん(中西由利子)と再婚。
筒美京平作曲作品で「姉妹」と言えば、いしだあゆみ&石田ゆり。
『あなたならどうする』https://t.co/eJKXa0pwVv
『悲しみのアリア』https://t.co/M5Rcnq0rKw#姉の日 pic.twitter.com/G05r9TloWl— ジャクジャク:関連 (@jakjakh24) 2018年12月6日
後にNHKの朝ドラ「てるてる家族」の冬子のモデルになっています。
なかにし礼さんには、長男の中西康夫さんがいます。
日本大学芸術学部演劇学科から東宝演劇部に行き、今は音楽プロデューサーをしているそうです。
息子の嫁は有沢比呂子で孫?
息子さんは2000年に女優の有沢妃呂子さんと結婚をします。
2008年に、有沢比呂子に改名。
2015年12月11日、心不全のため43歳でお亡くなりになられています。
若くして、本当に無念だったと思います。

娘さんは、再婚した後にも中西夏奈子さんを授かっているので2人いるんですね。
その娘さんはフランス人の作家ローラン氏と結婚されていて、お孫さんがキアラさんと言います。
2018年、なかにし礼さんは7歳になる孫娘と七五三をお祝いしたそうです。
なかにし礼食道がん
2012年に、テレ朝の番組「ワイドスクランブル」で、食道がんを公表しました。
「4センチ5ミリ、余命8カ月」ステージ3と診断され、心臓も悪かったので、手術は大変だと思い、あっちこっち病院を変えました。
国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で陽子線治療を受けて治りました。
ところが2015年、また見つかり、ちょうど「徹子の部屋」出演の前の日だったので、黒柳徹子さんには言いませんでした。
しかも手術のできない場所でした。
なかにし礼さんの家のお墓が、鎌倉の瑞泉寺(ずいせんじ)にあり、戒名を作って死ぬ準備をしていました。
リンパ節にがんが密着して、だんだん大きくなって、リンパ節の被膜を破って中に出ると、穿破(せんぱ)になって多臓器不全になる。
主治医が、なかにし礼さんのお宅にまで来て、「今年の桜は見られないでしょう」そんな先生が、手術をして治してくれました。
その際、息子と奥さんに「がんは、開けたけれどとれない。」
奥さんは「生きたまま、返してくれ。」
手術で、閉じる際に、リンパ節に密着しているがんを、ちょっと圧迫しているかもしれない静脈があり、それを切って閉じました。
それが功を奏したようで、がんがそれ以上、リンパ節を圧迫することが、だんだん減ってきた。
それは、その先生の判断で、AIにはできない!
人間の閃きが、大切なんです。
それから一切、治療しないで、抗がん剤だけで、24時間、5日間点滴を打つのを5回やりっぱなしで強いのですが、キレイにはなりました。
それでも生きているがんがあるかもしれないので、陽子線でキレイに治って、3年半経ちました。
前回は、2年半だったので、健康状態が、前よりも良くなっていることです。
お顔を見ると、ツヤもあるので大丈夫かなとお見受けしました。
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まとめ
なかにし礼さんの奥さんや息子さんは、とても明るい雰囲気の方で良かったですが、いろいろとご苦労されていて絶句してしまいました。
食道がんを再発されたとのことですが、お元気そうなので、少しでも長生きしていただきたいです。
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