佐藤安太(タカラトミー)死去!顔画像ダッコちゃん創業者の経歴は?

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残念な訃報が入ってきました。

管理人は世代が違うのですが、戦後のおもちゃで大ブームになった、「ダッコちゃん」や、「リカちゃん」人形「人生ゲーム」など数々のおもちゃを作られた、おもちゃメーカーの創業者、佐藤安太さんが2月26日お亡くなりになられました。

94歳とのことですが、子供の頃、大変お世話になりました。

リカちゃん人形はもとより、「人生ゲーム」など楽しませてもらいました。

ただ心残りだったのは、管理人はリカちゃん人形の赤いビニールでできた「リカちゃんハウス」を買ってもらえなくて、近所の子の家に遊びに行くと、そのリカちゃんハウスがあり、おまけにリカちゃんのママは、美人で品が良くて、うらやましいかぎりでした。

それはともかく、高度経済成長期を子供のために、ひたすら頑張られてこられ、どうもありがとうございました。

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佐藤安太の経歴とプロフィール

佐藤安太(タカラトミー)死去!顔画像ダッコちゃん創業者の経歴は?
引用元:http://yamagata-np.jp/feature/shinsai/kj_2011041900747.php
佐藤 安太(さとう やすた)

生年月日:1924年(大正13年)3月20日

出身地:福島県いわき市三和町

出身学校:米沢工業専門学校化学工業科(のちの山形大学工学部)

勲等は勲四等

学位は博士(工学)(山形大学・2010年)

山形大学工学部客員教授、財団法人日本玩具文化財団名誉理事長、福島工業高等専門学校客員教授、特定非営利活動法人ライフマネジメントセンター理事長です。

おもちゃの王様とも言われています。

太平洋戦争中は福島県郡山市に学徒動員されますが、その際にアメリカ合衆国による空爆を受け、周りには死傷者が多数出たにもかかわらず一人だけ無傷で生き残りました。

1945年、米沢工業専門学校化学工業科を卒業し、終戦後上京すると懸命に働きました。

1953年、東京都葛飾区にて佐藤ビニール工業所を設立します。

発足当時は、ビニール製の雨合羽や雑貨など、ビニール製品の製造を主につくっていました。

その後、空気入りビニールの素材開発に取り組み、その一環としてビニール人形を試作し百貨店の店頭に展示していました。

ところが、それに目を留めた百貨店の店員が、自分の腕にそれを付けて昼食をとりに外出したことをきっかけに、その人形がブームとなります。

さらに、大相撲七月場所のテレビ中継にて、その人形を持った観客が映ったことから、流行が全国に拡大します。その人形は「ダッコちゃん」との愛称が定着し、佐藤ビニール工業所には注文が殺到します。

その後、「リカちゃん人形」、「チョロQ」、「フラワーロック」といった自社開発商品は、大きなヒット商品となります。また、「人生ゲーム」や「トランスフォーマー」など、日本国外の企業と提携したボードゲームなども大きなヒット商品となりました。

1994年、安太はタカラの社長を退任して会長に退き、現在は、二男の佐藤慶太が社長に就任しています。

2010年には、86歳で山形大学院を修了し、工学博士号を習得しています。

まとめ

こんなことを言うと、不謹慎だと言われそうですが、戦争中大変な思いをして生き残った人は、その後、強運を得ているように思うんです。

見方を変えると、強運だったからこそ、生き残れたのかもしれませんが、佐藤さんもそんな一人なのかなと思いました。

その強運を生かし、子供や大人に夢や楽しみを与えてくれ、老衰でお亡くなりになられたのも、生き様が反映されたのかなと思います。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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