原広司(原爆ドーム)死去!wiki風で経歴やプロフィール作品は?画家訃報

管理人は、どういうワケか、広島へは行ったことがなくて、有名な原爆ドームも写真などでしか見たことがありません。

原爆ドームを描き続けた画家の原広司(はら・ひろし)さんが14日、悪性中皮腫のため87歳でお亡くなりになられました。

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原広司(原爆ドーム)死去!経歴やプロフィール?

原さんは、広島に原爆が投下された1945年8月6日、当時13歳でした。

翌日に市内に入り、被爆しました。

傷ついた多くの人に水を求められ、川におびただしい数の遺体が浮いた惨状を目の当たりにしました。

同級生の多くも命を奪われています。

84年に「ヒロシマを語る会」を結成して証言活動を始めたのを機に原爆ドームの絵を描き始めます。

1988年には米ニューヨークであった国連軍縮特別総会に被爆者代表の一人として参加します。

1992年には北朝鮮在住被爆者の調査団の一員として訪朝しています。

葬儀は近親者で営まれます。

喪主は長男広信(ひろのぶ)さん。

札幌ドームのデザインをした建築家の原広司さんと、同姓同名なんですね。

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原広司(原爆ドーム)作品は?

これまでに描いた水彩画は3000枚以上になり、晩年は老人ホームに入り、描く機会は減っていました。

2017年10月、児童約400人が原爆の犠牲となった広島市立本川小に「人生の集大成」としてドームの油絵を寄贈しています。

毎日新聞の連載「ヒバクシャ」にも度々掲載されています。

「被爆者として生かされた。惨状を伝えるドームを描くのは私の責務」と語った。

2017年7月に国連で採択された核兵器禁止条約に、日本政府が賛同しないことにも懸念を示していました。

まとめ

戦争の経験者が、年々いなくなってしまい、貴重な話を直接聞く機会も少なくなってきたと思います。

忘れてはいけない、戦争のこと。

風化させてはいけないのですが、原さんは絵にして、そのことを記録し残してきました。

絵を描くことは、本来、楽しいことだと思うのですが、そういう思いでは描けなかったと思います。

原さんが、生きている限り、忘れられない経験となってしまい、その思いはどんな風だったのか、想像つきません。

平成が残りわずかとなり、これで安らかに眠れるのだと思います。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

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