緑魔子さんと言うと、昔のドラマによく出演をしていたイメージですが、今でも活躍されているのですね。
「傷だらけの天使」が再放送されるので第2話に出演する、緑魔子さんについてまとめました。
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緑魔子の現在画像は?
緑魔子さんの現在ですが、
2020年2月に行われた、こちらの記事のトークイベントの動画で、チラッと出てきます。
2017年に公開された映画「STAR SAND ─星砂物語─」に出演されています。
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緑魔子と萩原健一?傷だらけの天使!
1974年のドラマ「傷だらけの天使」の第2話「悪女にトラック一杯の幸せを」で、萩原健一さんと共演。
この時、緑魔子さん30歳。
当時のメイクって、ほんと濃かったです。
最近、またこの当時のメイクに近くなりましたが、しばらくして、当時のメイクは、バカにされました。
あまりに「傷だらけの天使」が話題になっているので、陰に隠れてしまっていますね。
激しいシーン?があります。
緑魔子の子供や石橋蓮司と結婚
1965年に「夜の青春シリーズ」の「かも」で石橋蓮司と共演します。
1976年に石橋蓮司と共に劇団「第七病棟」を設立。
長い同棲生活を経て一人娘の小学校進学を機に1979年に石橋と入籍。
2012年に別居しますが、不仲ではないと離婚は否定しています。
緑魔子の経歴とプロフィール
本名:石橋 良子(旧姓:小島)
生年月日:1944年3月26日(75歳)
出身地:台湾・台北市
日本統治時代の台湾台北市で生まれ、宮崎県児湯郡高鍋町で育ちます。
裕福ではなかったことから、中学生の家庭教師をしながら高校へ通います。
宮崎県立宮崎大宮高等学校卒業をすると上京します。
全日本弁論大会で優勝するなど英語が得意でしたが、経済的な理由で大学進学はあきらめます。
家政婦やバーのホステスなどを経て、女優を志し、本名でNHK演技研究所に在籍します。
その後、東宝ニューフェイスとして6か月の研修期間を終えて東宝テレビ部に在籍するようになります。
東映映画「二匹の牝犬」で主演に抜擢されます。
芸名は本人の意向ではなく、東映のプロデューサーだった岡田さんが「映画の配役イメージと”緑という新鮮な色の魔性を秘めた女”」を意味して命名します。
「悪女」を経て1964年に「二匹の牝犬」で初主演をすると、その強烈な個性でブルーリボン賞新人賞を受賞します。
東映の専属女優として27作品の作品に出演しますが、「私はゴダールやアンナ・カリーナなどのヌーヴェルヴァーグが大好きなのに、「夜の青春シリーズ」みたいな映画ばかりやらされて我慢が限界」と応えて1968年に東映を解雇になります。
岡田の東映が制作する作品は「儲けるためなら、脱ぐ必要も無いのに、ただもうやたらに脱がせれば良いという姿勢に失望した」と批判。
それ以降は、山田洋次が監督する「吹けば飛ぶよな男だが」、1969年に「盲獣」など著名な映画監督の作品に出演。
1960年代後半からアングラ的ヌードへ傾倒して1968年にヌード詩集「悪の華」で芸術路線へ。
まとめ
目鼻立ちのはっきりした人なので、昔の東映では、ずいぶんな扱いをされてしまわれたようですが、いまだ現役で活躍されているので、活躍の場があるといいなと思います。
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