佐々淳行が死去!死因は?息子や妻は?浮気と危機管理あさま山荘事件

10102 - 佐々淳行が死去!死因は?息子や妻は?浮気と危機管理あさま山荘事件

初代内閣安全保障室長を務めるなど危機管理、安全保障のパイオニアとして知られる佐々淳行(さっさあつゆき)氏が10日、老衰のためお亡くなりになりました。享年87歳。通夜は15日午後6時、葬儀・告別式は16日午前11時半、東京都港区南青山2の26の38、梅窓院で。喪主は妻、幸子(さちこ)さん。

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佐々淳行のプロフィール

生年月日:1930年12月11日
出身地:東京府東京市麻布区(現・東京都港区)
出身校:東京大学法学部
前職:国家公務員(警察庁・防衛庁)
称号:勲二等旭日重光章
家族:佐々友房(祖父)
佐々弘雄(父)
佐々克明(兄):新潟医科大学中退後、1949年、東京大学法学部卒業をすると、朝日新聞社に入社し、社会部などに勤務します。

1981年に退社すると、在職中から歴史関係のライターとして活動していましたが、ビジネス書も執筆するようになります。

紀平悌子(姉):聖心女子大学専門部歴史科を卒業すると、21歳で、新聞記者であった夫と結婚し紀平姓となります。
その後市川房枝の秘書を務め、自信も参議院議員として活躍します。

熊本県出身の政治学者で、後に参議院議員を務めた佐々弘雄の次男として、東京市麻布区に生まれます。

戦国武将の佐々成政の末裔の家系です。
6歳のとき家の近くで二・二六事件が発生すると、その戒厳下の体験から危機管理を意識した人生の出発点になります。

旧制成蹊高等学校を経ると、1954年(昭和29年)3月に東京大学法学部政治学科を卒業

国家地方警察本部(現・警察庁)に入庁後は、主に警備警察の分野を歩み、東大安田講堂事件、あさま山荘事件、ひめゆりの塔事件など数多くの学生運動や新左翼のテロに対する警備実施を指揮します。

三重県警察本部長、警察庁刑事局参事官などを歴任すると、その後、防衛庁に出向します。防衛庁では同長官官房長などを経て、防衛施設庁長官に就任しました。

1986年(昭和61年)7月1日、第3次中曽根康弘内閣で初代の内閣官房内閣安全保障室長(兼総理府安全保障室長)に就任します。

中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑の3人の内閣総理大臣に仕え、1989年(平成元年)2月に行われた昭和天皇大喪の礼の事務取り仕切りを最後に、1898年6月に退官しました。

退官後は個人事務所を開設し、国内外の大きな事件には欠かさないコメンテーターとしてテレビ番組に出演します。

佐々淳行氏のホームページ

佐々淳行が死去!死因は?

80歳を過ぎたくらいからでしょうか、持病の心臓病に加え、脊柱管狭窄症と糖尿病を発症し歩行が不自由になってしまったそうです。

家の中での移動は、妻の幸子さんの助けが必要となったほどです。

それでも、人の生きざまは、死に際にあると言いますが、老衰だったとのことで、十分人生を全うされたのだと思います。

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佐々淳行息子や妻は?

佐々淳行氏には3人の息子さんがいます。

昔のモーレツサラリーマンではありませんが、仕事一筋で、家庭のことは顧みぬ方だったようです。

子育ては、妻に任せっぱなしで、いつしか息子さんたちからは、その佐々さんの姿勢を疎ましく思い、独立をして家を出ると、ほとんど会わなくなってしまったそうです。

妻の幸子さん

昭和15年生まれ

朝香三郎の娘で、朝香三郎は、戦前、日本窒素肥料(チッソや旭化成の前身企業)の子会社である朝鮮窒素肥料の最高幹部を務め、第二次世界大戦後は、旭化成(日本窒素肥料の後身企業の1つ)の最高幹部を務めた人物です。

長男は佐々将行

昭和38年生まれ

早稲田大学政治経済学部卒業

ビジョンクエスト代表取締役

二男は佐々敏行

昭和40年生まれ

青山学院大学卒業

サイバード勤務

三男は佐々康行

昭和42年生まれ

早稲田大学法学部卒業

西川産業創業家・西川家に養子入りし西川八一行と改名します。

佐々淳行浮気と危機管理あさま山荘事件

日本の「危機管理」の第一人者で、「危機管理」という用語のワードメーカーです。

治安、防衛問題に関して国際的知名度も高く、イギリスの作家フレデリック・フォーサイスの小説「第四の核」に実名で登場し話題となります。

英国C・B・E勲章、米軍民間人功労賞、ドイツ連邦勲功十字章を受賞。湾岸戦争においては、唯一「戦争はさけられない」と的確に予測し、名声を高めます。

亡くなった人のことを悪く言うつもりはないのですが、佐々さんは、良くも悪くも昔気質の人だったらしく、今の時代なら、大々的な問題になっていたかもしれません。

昔の男の人の典型ではないけれど「男の浮気は甲斐性のうち」のようだったようです。

奥さんにしてみたら、今も昔も、とんでもないというか、我慢を強いられていたらしく、その積年の恨みではないですが「婦人公論」(中央公論新社)10月27日号で、「夫・佐々淳行との別居で私は命を吹き返した」に吐露しています。

奥様にしてみたら、封建時代のような考えの佐々さんとの生活が、息苦しく思ったらしいです。

そういった犠牲と言っては何ですけれど、危機管理とか、あさま山荘事件の功績があるのも事実です。

今は、勉強のできる人はいくらでもいますが、体を張って、前線に立てる人は、どれくらいいるでしょう。

まとめ

東大法学部を卒業され、政治家さんとはまた違う、世の中をしょっている気骨感のようなものを感じました。

昭和の有名な東大安田講堂事件から、あさま山荘事件、ひめゆりの塔事件など数多くの事件に関わり、のちにはコメンテーターとして活躍されますが、事件の裏で尽力された方です。

体を張って守り闘い抜いたからでしょうが、テレビで拝見すると、どこか安心させられたものです。

こういう方が、いなくなってしまって、ほんとうに惜しい方を亡くしたと思います。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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