桐島正也[訃報]死因は?wiki風で経歴とプロフィール!東日貿易の社員

桐島正也[訃報]死因は?wiki風で経歴とプロフィール!東日貿易の社員

深田祐介さんの小説「神鷲(ガルーダ)商人」のモデルとして知られる実業家、桐島正也さんが2019年11月23日バリ島の南ジャカルタでお亡くなりになりました。享年87。

桐島さんの死因や、経歴などをまとめました。

桐島正也[訃報]死因は?

 桐島さんは肺を患い、10月23日から南ジャカルタ・ポンドックインダ病院に入院していました。

11月23日午後5時ごろ、呼吸器系疾患のため87歳でお亡くなりになります。

11月26日にカラワンのサンディエゴヒルズ・メモリアルパークに埋葬されました。

 初七日に当たる29日午後6時から、ダルマワンサ・ホテルの日本食レストラン「石亭」で、偲ぶ会が開かれます。

桐島正也wiki風で経歴とプロフィール!東日貿易の社員

東京都出身

昭和7年ごろの生まれ

三菱の共同創業者の孫として、裕福な家庭に生まれ育ちますが、終戦の混乱時に相続によって資産の大半を失うことになり、大学を中退します。

その後、さまざまな仕事に携わるうちに賠償ビジネスを手がける東日貿易に入ります。

東日貿易は、のち伊藤忠商事に合併します。

1959年ごろ、東日貿易の社長、久保正雄の指示で赤坂のクラブ「コパカバーナ」に行き、ママに引き合わされたのが、当時の根本七保子さん、のちのデヴィ夫人。

日本を訪問したスカルノ初代大統領に、19歳の根本七保子さんを帝国ホテルへ車で送り紹介します。

スカルノ大統領の求めに応じて、インドネシアに渡る根本七保子さんに付き添い渡航しました。

当時のインドネシアは、旧宗主国オランダの影響が色濃く残り、至るところに「インドネシア語を使おう」という標語があふれていました。

ちなみにオランダの公用語は、オランダ語になります。

1960年、ジャカルタ支店長としてインドネシアに渡り、日本との国交が樹立された直後のインドネシアで戦後賠償ビジネスに関与しました。

サリナ・デパートや独立記念塔(モナス)の建設などに携わります。

 東日貿易から独立後は、ムルデカ新聞の営業や広告の仕事を続ける傍ら、ホンダや三菱自動車、博報堂のインドネシア進出を支えます。

ジャカルタで初めての鉄板焼きとしゃぶしゃぶのレストランをホテルに出して成功を収めた。
 次々に、幅広いビジネス展開を行い、ゴルフ場や日本語の通じる病院「Jクリニック」なども経営していました。

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インドネシアと日本―桐島正也回想録

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まとめ

インドネシアは、正直、管理人には遠い国でしかありませんが、その異国で、ビジネスにまい進された人がいたのですね。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

どうでも良いですが、時々、デヴィ夫人の若い頃の写真として、女優の夏純子さんが取り上げられているのだけど、これを見ると、やっぱりデヴィ夫人じゃありません!

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