先日、ドンレオジョナサンが亡くなったことを記事にしたのですが、アブドーラ・ザ・ブッチャー「ジャイアント馬場没20年追善興行」(2019年2月19日、両国国技館)を「最後のリング」に引退をすると発表しました。
まだ77歳なんですね。
若いころと、あまり変わっていないようなのですが、ともかく気になったので、まとめました。
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アブドーラ・ザ・ブッチャーのプロフィール

引用元:https://pin.it/rhzmhv4oj3zp6y
リングネーム:アブドーラ・ザ・ブッチャー
プッシーキャット・パイキンス
ゼーラス・アマーラ
本名:ローレンス・ロバート・シュリーブ(ラリー・シュリーブ)
ニックネーム:黒い呪術師、The Madman from the Sudan
身長:186cm
体重:150kg
出身地:1941年1月11日(77歳)
出身地:カナダ、オンタリオ州ウィンザー
スポーツ歴:柔道、空手
1961年にデビュー
1970年8月、日本プロレスで初来日を果たします。
その後は全日プロを主な活躍の場として故ジャイアント馬場さん(享年61)と大格闘の展開。
頭突きや、毒針エルボー、フォーク攻撃を武器に悪役と言ったら「ブッチャー」子供も覚えました。
1977年12月15日の世界オープンタッグ選手権最終戦(東京・蔵前国技館)では、フォークでテリー・ファンクの腕をメッタ刺しにする衝撃的なシーンで、一気に知名度を全国区に上げます。
1981年5月からは6年間、新日本プロレスにも参戦します。
2011年にはWWE殿堂入りも果たしています。
77歳との報道で、意外と若いと思ったのですけれど、生年月日が、1941年ではなく、1936年との説もあるそうです。
もしかすると、1936年で、サバをよんでいるのかもしれませんね。
そうだとしたら、かなり若く見えると思うのですが。
ネイティブ・アメリカンの父親とアフリカ系アメリカ人の母親の間に生まれます。
両親と8人の兄弟姉妹に囲まれ、幼少期は貧しいながらも幸せな家庭で育ちます。
ほどなくして家計を助けるため廃品リサイクル、新聞売り、靴磨きなどの小遣い稼ぎをしながら、独自のビジネス感覚を身につけます。
中学生になった頃、近くの警察署で開催されていた柔道と空手のスクールに通い始めます。
それまで経験のなかった格闘技を学ぼうと思った理由は「無料だったから」です。
成長期に本格的にスポーツに取り組んだり、肉体労働のおかげで、青年期には180cm90kgの体格にまでなります。
たまたまプロレス興行を見に行ったとき「自分もプロレスで稼げるのではないか」と考えるようになります。
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ブッチャー(プロレスラー)画像!嫁や子供家族は?
初婚ではなさそうですが、今は韓国人と日本人のハーフの奥さんと生活をしているようです。
ジャイアント馬場ブッチャーのお店
3歳年上のジャイアント馬場さんとは、1970年9月5日の東京スタジアムの試合から通算、32戦、馬場12勝、ブッチャー3勝、17引き分けになっています。
アトランタにブッチャーの経営する「リブ&チャイニーズ料理」のお店がありますが、店内にはジャイアント馬場さんとの写真が数多くあるそうです。
やはり特別な、存在だったのですね。
まとめ
「ブッチャー」でググるとNHKの朝ドラの登場人物が、出てくるんですが(怒)
今年になって、ドラマの「寺内貫太郎一家」がBSで再放送されて、その後、西城秀樹さんや樹木希林さんがお亡くなりになられました。
そうかと思ったら、朝の連ドラで「ブッチャー」の名前を耳にしてと思ったら、こんどは本物のブッチャーの引退発表だなんて、こういう連続性みたいなものって、何気にあるんですね。
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