芦田淳が死去!死因は?長女や娘は?自宅はどこ?美智子さまのデザイン

日本を代表するファッションデザイナーの一人で、皇太子妃時代の美智子さまの衣装を手がけた芦田淳(あしだ・じゅん)さんが20日、肺炎のため東京都内の自宅でお亡くなりになりました。享年88歳。

優雅で洗練されたデザインが特徴で、皇族からも贔屓にされ、幼少時の皇太子の背広を仕立てたことがきっかけで、66年から10年間、美智子さまの専任デザイナーを務めました。雅子さまのご成婚時には、イブニングドレスをデザインも手掛けています。

スポンサドーリンク



芦田淳のプロフィール

生年月日:1930年8月21日~2018年10月20日

出身地:日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の開業医の両親のもとに生まれます。

1951年、私立東都高等学校(現・東京高等学校)を卒業。

太平洋戦争直前に日本に引き揚げ、高校卒業後、少女画家の中原淳一さんに師事します。1960年から高島屋と帝人の顧問デザイナーとなり、日本におけるプレタポルテ(高級既製服)をもり立てます。

1964年から「ジュンアシダ」のコレクションを発表。

幼少の皇太子さまの背広を仕立てたことがきっかけで、1966年から10年間、美智子さまの専任デザイナーを務めます。

1977年、パリコレクションに初参加。

1989年には現地の高級ブティック街に直営店を開き、現在も営業を続けています。

1991年に紫綬褒章、2006年に旭日中綬章を受章。伊功労勲章や仏芸術文化勲章など海外の受章歴も多数。次女の多恵さんが後継デザイナーとして活動しています。
アトランタ五輪1996年、このころは、品があって良かったのですね。

芦田淳長女や娘は?

芦田淳さんには二人の娘さんがいます。

長女の有子さんと次女の多恵さん。

長女の有子さんは、子供のころからヨーロッパで買った服を着させていたことで、かえってファッションに興味を示さなくなり、姉のお古で育った多恵さんの方が、ファッションに興味を持つようになったそうです。

1964年東京生まれ。

出身学校:東洋英和女学院小・中学部を経て、スイスのル・ローゼイ高等学校を卒業します。

1987年、アメリカ・ロードアイランド造形大学を卒業。

在学中の1984年からジャン・パトゥやクリスチャン・ラクロワのもとで研修をします。

1988年、株式会社ジュンアシダ入社。

1991年、「ミスアシダ」コレクションを発表し、デザイナーとしてデビューをします。

1993年、JリーグA.Sフリューゲルスのカップ戦ユニフォームをデザイン。以降、帝国ホテル、マックスファクター「SK-2」などのユニフォームも多数デザイン。2000年には東京ディズニーリゾート「キャンプ・ネポス」のコスチュームもデザインを手掛けます。

スポンサドーリンク



芦田淳自宅はど?

芦田淳さんのご自宅は、目黒区青葉台の高級住宅地の一角にあり、故盛田昭夫氏の自宅が近くにもあった一帯です。

会社の住所は、東京都目黒区青葉台1-3-3になるので、自宅とほぼ同じでしょうか。
10225 300x212 - 芦田淳が死去!死因は?長女や娘は?自宅はどこ?美智子さまのデザイン
引用元:https://blog.goo.ne.jp/goo200803/e/5217c0e07c20a98e6ee68612c92189aa

美智子さまのデザイン

1966年から1976年まで、芦田淳さんが仕立ていたそうですが、こちらもそうでしょうか?

美智子さんの母、富美さんが生きていた1988年ころまでは、良かったと言われています。

これは、同じようなデザインですけれど、これを見た芦田淳さんの感想を、ぜひお聞きしたかったです。

質素倹約なデザインと言うのでしょうか?
10224 300x253 - 芦田淳が死去!死因は?長女や娘は?自宅はどこ?美智子さまのデザイン

こちらも、ぜひ御高説を拝聴したかったです。

礼儀知らずの美智子皇后、海外で赤っ恥  復刻

まとめ

だんだんカジュアルなのが、当たり前のようになってきて、ラクな半面、それはそれでつまらなく思っています。

芦田淳さんのようなエレガントなデザイナーが、今後出てくるのかわかりませんけれど、品格ある衣装は、あってもいいと個人的には思うのです。

そうでなければ、人民服みたいなのしか見られなくなったら、民主主義の国らしくなくなってしまうと思う。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

スポンサドーリンク